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絵本の読み聞かせ よみっこ

 み聞かせと 芝居や映画の違い
   ● 似ているけれどどうなの?

 ボランティアの読み聞かせと、芝居や映画の違いはなんでしょうか?
 絵本などを読み聞かせる読み手と、舞台上で演じる役者に、違いはあるのでしょうか?
 特に読み聞かせと芝居は、複数の人の前で生の声を発して物を伝えるということで、似ているような気もしますが、どうなのでしょうか?
   ●  芝居や映画は「新たな独立した作品」

 まず、芝居や映画は、一つの作品だということです。
 既成の本を読んで聞かせる読み聞かせと比べるのですから、原作のある芝居や映画ということで考えてみます。
 それでも同じことです。戯曲や脚本の基になる原作の小説があったとしても、芝居や映画は、独立した一つの作品です。演出、役者、音声、照明などの人たちは、すべて表現者となって、「新たなもの」を作り出すために共同作業を進めます。
 その結果、今まで思いもよらなかったような原作の解釈を意識的にして、ストーリーを変更したり登場人物を変えたり、時には原作の骨組みだけしか残さないということさえあります。
 役者だって、原作からは考えられないようなキャラクターで登場してくる場合もあります。
 もちろんこれらのことは、芝居や映画といった新たな独立した作品上で、作り手が、表現したいもののために考えることです。

 また、作り手側が原作を選ぶ理由は、「この原作を基にして作品を作ろう」ではなくて、自分達の表現したいもののために利用できる原作をたまたま選んだにすぎないということもあります。

 ですから、原作のある芝居や映画を見る時には、演出家や役者たちが、原作をどう解釈して料理してくれたのか、または利用しているのかを楽しむことにもなるのです。
   ●  読み聞かせは「本そのもの」を伝えること

 それでは、ボランティアでの読み聞かせは、どうなのでしょうか?
(あくまでもボランティアです。家庭内の読み聞かせは、なんでもアリですから、定義なんてことをしてはいけないと思っています)

 読み聞かせの読み手も、本の内容を伝えるという意味において表現者になります。
 しかし読み聞かせは、「新たな作品」を作り出すものではありません。
 読んで聞かせるということは、「本そのもの」を伝えるということです。

 私は、この部分が、読み聞かせと芝居や映画などを分ける一線だと考えています。

 読み聞かせは、「読み聞かせ」という独立した作品ではなく、「本」という作品の内容を聞き手に届けることです。
   ●  役者は自分自身を表現する

 ここまで読んで、何人かは、矛盾をしていることを書いていると思っているかもしれません。
 なぜなら私は、「感情の入らない読み聞かせは存在しない」のページで、「読み手の解釈や感想の入り込まない読み聞かせは、存在しないのです」と、言い切っているからです。

 けれども、本を読んだときの感情を大切にして、その感情に基づいて生まれた解釈と、新たな作品を生み出そうという「意志」を持って原作に加えた解釈とは違います。
 例え、その解釈が、偶然に同じであってもです。
 その「意志」を持った時点で、読み聞かせとは違うものになってしまいます。

 芝居で演じている役者は、自分自身を表現します。どんな役を演じるにしても、芝居という作品の中で、自分自身を表現します。単に役になりきることだけを考えていたならば、おもしろくもなんともありませんし、役者として失格です。
 ただし、その自分自身とは、稽古の中で意識的に作り上げたものです。

 けれども、読み聞かせの読み手がやるべきことは、本の内容を読み手の「等身大の体」を使って届けることです。

 繰り返しますが、読み手の体を通過するときに、感情や解釈は必ず含まれます。けれどもこれは、けっして自分自身を表現するためのものではなく、本の内容を届けるためのものなのです。
   ● 読者が感じたことがすべて

 ここまで書いたことで、誤解をして欲しくないことを書き加えておきます。

 「読み聞かせと芝居や映画の違いは何なのだろうか?」ということの答えを「独立した新たな作品かどうか」、そして「読み聞かせの読み手と芝居や映画の役者の違いは何なのだろうか?」ということについての答えを「自分自身を表現しようとしているかどうか」ということに求めました。これは、個々人の気持ちの問題になります。

 ここで人によっては、「自分の好き勝手な解釈をしたならば、自分自身を表現することになってしまうのではないだろうか?」という不安を感じるかもしれません。
 けれどもその解釈が、自分の感じたままのものであるなら何の問題もないのです。
 なぜなら、例えば「もこ もこもこ」に関して、「これはこういった意図で書かれたものですよ」というような説明の書かれた統一のテキストがあるわけではありません。読んだ人が感じたことがすべてで、それがその人にとっての「もこ もこもこ」です。

 もちろん、ここで忘れてはいけないことがあります。「感情を込めて読んではいけないのか?」のページで書いたことの繰り返しになりますが、「聞き手に寄り添う」ということです。

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